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Road of the teacher

Road of the teacher 先生への険しい道。それでもなりたかった職業。

「努力したことに損は絶対ない!!だから行動しよう!!」

こんにちは。タカです。
見ていただきありがとうございます!ここでは僕が教師になるまでを紹介します。
はっきり言って病気とは関係ないです!
だから、僕の教育や人生、生き様に少しでも興味があったら読み進めてください。
ここから生まれる価値・・・。うーん。うまくまとめますね。

 

Road of the teacher 先生への険しい道 それでもなりたかった僕の夢

 

まずは自己紹介からしたいと思います。名前はタカ。職業は小学校の教員をしています。年齢は40代前半。病気は慢性腎臓病(多発性のう胞腎)。妻一人。子どもはなし。の二人暮らし。

 

結構苦労して小学校の先生になりました。小学校のときから僕の夢は「小学校の先生」
おとなしくて、転校生だったゆえに友達も少なかった。また、口数も少なかった。でも、人一倍努力することはできた。
そんな僕をはじめて認めてくれた先生に出会った。

 

「騒がしい教室で、静かに口を閉じて座っている僕を見本として紹介してくれた」
「手を上げて発表することなんてできなかったけど、書く文字やノートを見本として紹介してくれた」
「毎日の宿題をコツコツ行うことをめいっぱいほめてくれた」
「生き物の世話を毎日繰り返し、それを日記に記録していたことをめいっぱいほめて紹介してくれた」

 

最初は、こんなごく当たり前のことを当たり前にやっていたことを、見本として紹介してくれたことがホント嬉しかった。

 

それから、人に教えることの喜び、クラスの学級委員として頼りにされる喜び。
書いたらキリがないくらいです。

 

僕は、小学生のときから、どんな人でもいいところあるから、どんな人でも認められるような先生になりたいなあと思っていました。また、係活動が充実していればクラスはすごく楽しくなるし、決まりを守らないとみんなが迷惑するし、お互い認め合っているとケンカがないし・・・と小学生ながら思っていましたが、小学生の僕には、そこまでみんなに「やっていこうぜ!」という力もありませんでした。思いは強かったですが・・・。
学級委員や、班長など、意欲的には参加する子どもでしたが、昔から争いごとが苦手で、人に強い態度で話すことはできませんでした。今も昔も変わらないです。

 

それでも、学校は最高の場所。学校にいれば、学びも楽しみも、なんだってできる。こんな場所に、先生としてなれたらどんなにいいだろう。ってずっと思っていました。だから、小学校6年生の最後の文集で、「先生と僕」という題名で、将来の夢を目いっぱい書きました。さすがに恥ずかしくて紹介できないけれど、ああ、こんな昔から僕は僕なんだなあって、読み返すとそう思いますね。

 

中学に行っても、将来の夢は「小学校の先生」
三者面談の進路指導では、具体的に○○高校に行って、大学の教育学部に行って、教員採用試験を受ける。
これくらいの指導はあったため、将来の道筋は中学生のときから、ずっと見通しを持っていました。
もしかしたら、この時が一番努力をがむしゃらにしていました。
成績はオール5でしたが、かなり努力しました。1番じゃなくては、100点でなくては、納得できませんでした。
両親に認められたかったですが、方針だったのでしょうか、一度も褒められず、一番だろうと、ケアレスミスを指摘されてメチャクチャ怒られるくらい厳しく育てられました。
家庭では、萎縮していましたが、学校は楽しかった!いろんなタイプの人が当たり前にいて、いっぱい学べる。いっぱい笑える。
この時出会った先生のおかげで「ドラゴンズ」が大好きになりました(笑)

 

地元の進学校に進学。
周りが優秀な環境もあって、初めて挫折を味わい、ずるずると成績が落ちていきました。
それでも、「小学校の先生」という明確な目標があったため、志望校も早い段階で決めて、がんばりました。

 

進学校に入って調子に乗ってしまい、青春時代を謳歌していました^^・
高校2年の後半あたりから一気に追い込みをかけて、なんとか間に合いました。

 

教員養成の大学に無事合格し、さらに学力の専門性を高めるために、大学院へ進級。
専門は理科。理科教育から教育全般をこの時期から本格的に研究していました。

 

はやく先生になりたい気持ちと、先生になったら、あれやってやる、これやってやる、の気持ちでいっぱいでした。
まさに、夢へむかって、まっしぐら!!

 

ところが、そうはうまくはいかない。
教員採用試験です。見事に落ちました・・・。

 

それから、専門性の職が偶然みつかり、科学技術振興財団に嘱託員として参加。ここで、理科の楽しさや、理科の専門性を現役教員からたくさん学ぶことができました。出張授業や、理科イベントも何度もやって楽しかったなあ。

 

子どもだけでなく、数多くの人に「理科の力」だけで、こんなにも夢中にさせれらるんだ!もっと「理科」を極めて、いつでも夢中になれる教育がしたい!

 

この時から、強くそう思うようになっていきました。

 

でも、やっぱりここは学校ではなく、やっぱり学校の先生になって、学校に行きたい気持ちがずっと強かったので、先生になったときの有利な資格は何かないだろうかと考え、MOT(マイクロソフトオフィシャルトレーナー)の資格をとりました。これで、ワード、エクセルはじめ、パソコンの基礎知識などは、まあ人並み以上になることで、学校の校務や教材研究に少しでも有利になるかなあと考えていました。資格をとるのも、大変でしたが・・・。毎日ひたすら勉強したなあ・・。

 

それで、中学校の非常勤講師で中学1年から3年まで幅広く、理科を教えて、中学生ならではの思春期の大変さや、生徒指導の難しさ、そして、理科の専門性を子どもに楽しくわかりやすく教えること、たくさん学びました。一番下っ端だったから、死に物狂いだったなあ。中間期末テスト、成績付け、進路指導のデータ作成、職員室のLAN設定と、全部一人でやったなあ・・。非常勤講師でここまでやらなくてもいいのはわかっていたけど、せっかく身につけたパソコンの知識を学校で使いこなせていたのが嬉しくて仕方なかったし、何よりも教える喜び、教材研究しただけ授業が充実するのが目に見えてわかったし、先輩先生からとにかくいっぱい学びたかったからなあ。すごく懐かしいです。

 

次は、小学校の臨時講師(臨時的任用講師)。いきなり小学校5年生の担任になって、それはもう嬉しかったなあ。なにより僕が先生として、初めて担任をしたこと。一生忘れることはないと思います。確かにここでもムチャクチャがんばった(理科の研究授業をいきなりやるなど)、どうしても講師という立場がイヤだったなあ。たぶん他の人はそこまで思っていないだろうけど、何かお客様みたいな。正規の採用じゃないし、一年契約。来年はどうなるかどうかなんてわからない。だから、学校でも家でも、ムチャクチャがんばって勉強していました。ちょうど、今の自分みたいに、逆境精神の塊だったと思います。

 

がんばった甲斐あってようやく正規採用。地元の田舎を離れての大都会での採用でした。

 

がんばって知識として身につけたこと、身につけた知識を実践し、経験を積んだこと。
なによりも経験はものすごく自信になりました。

 

晴れて正式採用されて、家族とも喜びを分かち合いました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます!!

 

ここで、タカからのまとめの一言

 

 

「努力したことに損は絶対ない!!だから行動しよう!!」


 

だってどの努力って、前までの自分より絶対力をつけていることだから。大事なのは行動すること。行動しない限り何も生まれない。何も始まらない。
本当にがんばったものは、夢は必ずかなう!!努力は必ず報われる。夢がかなっていないのならまだ努力の途中でしょ?
僕は、今の気持ちを形にするために、こうやってサイトを作るって行動で、少しずつ形にしていこうと思います

 

「誰もが 安心して 豊かな」社会の実現へ。

 

僕は、一人でも役に立つように、行動します!!
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