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入院までの道のり

小学校生活ラストイヤーC(完結)

タカです。今日も見ていただきありがとうございます。

 

1月になり、新年新しい気持ちでがんばろう!というよりは、とにかく3月までがんばろうと必死でした。

 

少しでも気を抜くと、身体の異変を感じるくらい敏感になっていたので、常に考えることが同じ。
「子どものために、自分にできることを精一杯やる!」
「精一杯って、気を抜かないこと!」

 

一番助けられたのは、子どもの笑顔と日々の成長が見られることです。
僕が教えたことを真剣に聞き、実践する姿。
僕が教えるというより、子どもたちがどんどん自分たちで教えあって学びあって成長する姿。
最初はできなかったことが、繰り返し成功経験をつませることで、やりがいをもって子どもたちは実践します。

 

教室にいて、子どもたちとかかわりあうことは僕にとって教師として自分をキープしていられる最善の策でもありました。
前回記事にしたように、出血がひどいとき、めまいがひどくて立ち上がれないとき、立ち上がってすぐに嘔吐したとき、
以上の症状が当たり前になってきたので、学校も休みがちになってきました。

 

今、こうやってパソコンを自由にタイプすることができますが、当時は、数分、下手したら数秒で手がつってしまい動かなくなります。
さらに、出勤簿のはんこを押すときも、一回だけならまだしも、連続して押すとき、集中して力をいれるので、手がつってしまい、ハンコをおすだけでも一苦労です。成績処理のこの時期、僕ができる時間を有効に使って行いました。
朝早くから学校に行き、誰もいないときにコツコツ仕上げました。
どうしても、他の職員がいるときには、弱いところを見せたくなかったのもあるかもしれません。

 

悪気はないのだけど、水を飲むとき、コップを落としてしまったり
悪気はないのだけど、書類を運ぶとき、落としてしまったり、
悪気はないのだけど、立ち上がった瞬間に意識がなくなってしまったり、

 

特に声をかけられなかった分、どうしても弱いところを見せるのがいやでした。
午後からタクシーで帰るときも、複雑な気持ちが先行しました。
「はあ、やっと帰れる!ラッキー!」なんて気持ちはさらさら湧き上がりません。

 

周りも僕に遠慮してでしょうか、または、単に嫌われていただけか、
ほとんど声もかけられませんし、挨拶もしません。
僕が苦しくていっぱいいっぱいだったため、ますます自己嫌悪が増します。

 

それでも、がんばって貫き通したこと
笑顔と感謝 です。

 

僕に関わるすべての人に、こうしてほしいとか、こうなってほしいとか思うのはやはり妄想。
それより、自分がやっていることに誇りをもって、
相手と接するときはリスペクトの気持ちをもって、
そして、笑顔と感謝を常にもっていたいとずっと思っていました。
複雑すぎる気持ちの中で、絶対落としてはいけないことだと思っていました。

 

毎日が心も身体もいっぱいいっぱいの中、感動することがありました。

 

「子どもたちの誕生日プレゼント」

 

係り活動を主体に、自分たちでクラスをよくするために、自主的に運営、計画ができるようになってきたのは以前お伝えしました。
「1時間だけ、時間をください」
というので、クラスの仲を深めたいこと、もうすぐクラスも終わりだから感謝の思いを伝えたいこと
明確なめあてがあったので、OKを出しました。

 

帰りの会に、僕だけが一人の子どもに手を引っ張られ、外に連れ出されたことが続きました。
なんとなく、僕に内緒のことがしたいんだなあと思っていました。

 

でも、実際は「誕生日パーティー」

年間を通して取り組み、成長してきたクラスイベント。その成長ぶりも嬉しくて仕方なかった。
また、子どもたち一人一人からの感謝と励ましのメッセージ。
すべて手作りの心のこもったプレゼント。

 

表紙には
「○○先生 お誕生日おめでとう 無理しないで長生きしてね!」

 

パラパラと見てみると、
「絶対来年も○○先生でお願いします。学校がこんなに楽しいとは思わなかったです」
「早く元気になってください。いつでもマッサージするよ。」
・・・・・・・・

 

僕は、嬉しくて嬉しくて、また、絶対このままでは死なない。絶対生きてやる!
今まで気を張って、子どもの前で精一杯つないでいた心の糸が一瞬だけ途切れました。
その瞬間、出てくる涙が止まらない!止まらない!
こんなに嬉しい気持ちは一生ないことだと思いました。
そして、小学校生活ラスト!と自分で決め込んでいた自分がアホらしくなり、猛省しました。
当然、子どもたちは僕がこのまま休みを取ることなんて、知りません。

 

僕は、やっぱり先生を続けたい。
最高の姿に戻って、最高に質の高い授業で、もっともっと笑顔にしてやる!
そう誓い、今までのつらさや、今後も続くつらさが、どうでもいいくらいに思えたのは間違いありません。

 

もう一つ。さらに嬉しいプレゼントがありました。

 

ねえねえ、誕生日、食事に行こ!
今までがんばっているのだから、この日だけいいじゃん。
ね。行こうね。はい!きまり!予約しておくね。
絶対だからね。約束ね。


誕生日に、妻に食事を誘われました。
僕の好きなハンバーグ。大好きだけど食べられるかな?でも今日だけ、誕生日だし、いいか。

 

正直、あまり乗り気ではありませんでした。家で身体を休めている方がはるかに楽でしたし、
限られた時間内を有意義に過ごすために、お手紙やら、成績について考えたほうが合理的でしたから。

 

お気に入りのお店に妻と入ると、なんと偶然?同じ学年の先生方がいました。

僕も、この年なので主任をさせていただいていますが、ものすごくお世話になっている先生。
僕よりずっと若いのに、見通しもあり、てきぱきとこなす。
学校では、正直のところ、ムダ口はほとんどありませんでした。
基本、学年の話。たまに世間話。世間話といっても、全然プライベートのことなんて知らない。
どちらかというと、仕事人間で、あっさりしていて、ムダなことが嫌いな感じ。

 

そんな先生が、店内にいて、あたかも偶然を装っていましたが、すべて僕のためのサプライズだったのです。
妻も絡んでいたことは後になって知りました。
僕がこんなふうに思われていたなんて、こんな風にしてくれるなんて、全く、想像もできないサプライズだったので、
これも嬉しくてしょうがなかったです。
本当に、心のそこから、感謝の気持ちがあふれて仕方がなかったです。

 

「絶対生きてやる!死んでたまるか!」
という強い気持ちがさらに強くなりました。

 

その後、複雑な気持ち、嬉しい気持ち、いやな気持ち、いっぱいごちゃごちゃのまま何とか一年を全力で駆け抜けることができました。

 

離任式。
僕の学年の先生はみんな離任することになり、子どもたちは僕だけが学校に残ると信じています。
これまた、複雑な気持ちいっぱいです。
でも、離任する先生が気持ちよく去っていただけるように、僕にできる精一杯のこと。
僕なんて、どうでもいいんです。
学年のみんなが胸はって、行儀よく、感謝の気持ちをいっぱいもって、送り出せるように声をかけました。
離任者の泣きながら挨拶する姿。
子どもたちが泣きながら聞いている姿。
最後の握手で、泣きながら気持ちを伝えている姿。
笑いと泣きでくしゃくしゃの離任者の姿。

 

僕は、僕で見守りながら、
「僕がこのまま4月からいなくなるの知ったら、子どもたち悲しいだろうなあ」
「僕は、本当に戻ってこれるのかなあ。本当に死んでしまわないかなあ」
「いや、絶対戻ってきてやる。挨拶もしないまま、このまま死ぬなんて、あってたまるか」

 

ものすごく複雑でした。
僕みたいな休職するのは決まっていても、公表するのはもっての他で、誰にも言うことはできません。

 

離任式(修了式)が終わり、職員も別部屋で食事をとり、同じように茶話会が行われます。
そこでも、離任者から挨拶があり、みんな笑顔。
新しい第一歩のために、みんな笑っています。

 

僕は、話すことが許されないので、非常に複雑です。
この時になって、いよいよこの学校ともお別れか・・・・。
感謝の気持ちを伝える場がないのって、こんなにつらいことなのか、ものすごく思いました。

 

最後の職員室。
離任者のお別れパーティーがあるので、職員が足早に去っていきます。
僕が手術のため、休職することは周知でしたが、ほとんど声をかけられませんでした。
みなさん、一年を終えた喜びと、これから始まる楽しい宴にテンション高いまま、足早に帰られていきました。

 

僕は一人、職員室に残って、妻の送り迎えを待っていました。

 

そのとき、保健の先生がたった一人になった僕に声をかけてくれました。
「今までよく我慢したね。本当に大丈夫?」
この瞬間、僕は堰を切ったよう大泣きしました。
○○は僕について、悩み相談なんてもってのほかで、相談相手にはなりませんでした。

 

唯一、保健の先生は、僕の悩みを聞いてくださり、僕の症状を○○に伝えてくださっていました。
すべて見透かされたみたいで、僕はたぶん、一生の中でないくらい泣きました。
「死にたくない!」
「死にたくないよ!」
こんなこと、口にするなんてまずありません。

 

でも、最後の最後で、すべての感情が出てしまいました。

 

保健の先生とお話し、いくらか気分が落ち着いたところへ、妻もやってきました。
「絶対死なないこと。絶対復帰すること。」
約束して、感謝の気持ちをいっぱい伝えて、最後の職員室を出ました。

 

では、タカから今回の一言

 

「ありがとう!」


 

今はもちろん、死にそうな体でも僕は「感謝」の気持ちを忘れませんでした。
「感謝」することは僕が生きている証拠。

 

「ありがとう」は、周りも幸せになれる最高の言葉であるから。

 

僕は、ものすごくいろいろ考え、葛藤して、がんばりぬきました。
自分だけでできることだって、当然ある。誰かに迷惑をかけられないから、自分でやっちゃうときもある。

 

でも、僕は、僕みたいな人見つけたら、しっかり声をかけていきたいです。
抱えているものが大きかったら大きいだけ、つらい思いをしているから。

 

「誰もが 安心して 豊かに」くらせる社会。
いっぱい課題があると思います。僕は僕で、僕のやり方で見つけ出していこうと思います。
このサイトが何かの役にたつことができたら、これほど嬉しいことはありません。

 

次回は、休職して、ミイラのような生活をします。
また、病院との日程決定など詳しく記事にします。

 

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