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腎移植とまっすぐ向き合って〜

小学校の先生ラストイヤーA

小学校の先生としてラストの生活。
決心した以上は、まさに捨て身でできることは全部やり切った感じがします。

 

15年も先生を続けていると、毎年毎年でだいたいの見通しは持つことができます。
先生が道筋を立てて、軌道に乗せてあげること。
子ども達の自主性、自律性、探究心を育てる支援。
何よりも、クラスという場が、どこよりもホッとできる空間で、みんなで認め合い、励ましあいながら、肩の力をにぬいて等身大で力を伸ばせる場所にすること。
いつも、僕が心がけていることですが、子どもにはありたっけの愛情を。個に応じたありたっけの支援を。だって、どんな子も絶対いいところはあります。一つだけ?いいえ。めちゃくちゃあります。

 

ほめて伸ばして、自信をつけてさらに成長する。
相手のことを考えてしっかり行動する。
興味を持ったことをとことん追及する。
「みんなちがって、みんないい」

 

素敵ですね。

 

僕が一年間、絶対に続けると決めたことがあります。
クラスの保護者全員に週に1回お手紙を書き続けること。

 

子どもたち一人ひとりの良いところ
授業でのつまづき
成長
友達にしたこんないいところ
こんな特技があったんだという気づきなど

 

手紙にして書きました。通知表というのがあるのですが、そこで所見ってありますね。こどもの良いとや具体的な成長点を文章にして書くスペースのことです。あの所見を週に一度児童全員分やっていた感覚です。

 

普通に考えて、所見は3学期制の学校なら3回。2学期制の学校なら2回。
具体的な子どもの成長を書くスペースですが、かなり大雑把だなあといつも思っていました。
週に一回、所見を具体的に伝えることができたら、保護者としては嬉しいだろうなあ。子どもだって嬉しいし。

 

最初は、僕も「さすがに無理やろ?」
と思ったり、途中で「今日ぐらいはやめとこう」
という弱い気持ちになった時も当然あります。でも続けました。
そして、一年間、どんなに身体の具合が悪くても、入院しようが、帰宅途中で失神しようが、高熱に悩まされようが、死ぬ気で続けました。ありたっけの愛情をぶつけました。

 

保護者も、毎週の僕のコメントをとても楽しみにしていただき、びっしりと返事をくれました。
その中には、学校での日々の様子が非常に詳しく分かることや、家でも気づかないお子さんのいいところを知った喜びだけでなく、家でのお出かけの様子や学習の様子、悩みなどホント、僕以上にびっしりコメントを書いていただき、感謝の気持ちとともに、僕が学級経営する中で有益な情報もあり、ますます頑張ろうという気持ちになることができました。

 

一年間続けてホントよかったなあ。

 

捨て身になって取り組めば、なんだってできるってホントだなあと思います
前回でも記述したように、○○はあてになりません。世間体しか気にしていませんから。守ってくれない以上、どこからつつかれても、自分がやっていることは一切否定されない、否定できないという究極なところまでやってやろう!そう考え抜いて頑張りぬけたと思います。

 

大体どの先生もそうだと思いますが、全く無理でもないんです。
だって、日々の授業の気づきや、子どもの気づきをメモしてストックしている先生なんて山ほどいるから。
僕も、今までの教師経験でずっと続けてきたことです。

 

「座席表」に、何か気づいたことがあったら、どんどん書いて行き、1週間ほどでデータ化します。
その時に、空欄の子どもがいたら、僕が気づけていなかったこととして、次の週は重視して気づけるようにします。

 

「先生!」ってすぐに近寄ってくる子は目に見えるだけでもたくさんの良いことが発見でします。当然です。
僕は、大人しくて引っ込み思案で近寄って来れない子に意識して見ようとするクセもついていました。

 

1ヶ月もデータ化すれば、所見なんか楽勝で書けます^^正直言って。
前期だけでも6ヶ月分もあるから、逆に書けない子がいるのは相当問題では・・・・と思っちゃいます(笑)

 

今までの習慣化された子どもの良いところを書き留めておくクセが、今回の決心にはつながりました。
でもお手紙は手書きでクラス全員分だったので、楽ではなかったです。
子ども一人一人の顔と、後ろにいる保護者の顔を思い浮かべながら書いていました^^・・

 

子ども達は、終盤はともかく元気な先生に見えたと思います。
体育、校外学習のドクターストップや、緊急入院など、身体の具合が悪くなっていることは、懇談会を通して、保護者には伝えていました。僕自身、病名までは明かさなかったですが、身体の具合が悪くなってきていることは伝えていましたね。

 

実際、体育ができない、校外学習に行けないって、先生としてかなりのショックですよ。僕は、身体を動かすことが大好きで、体育も大好きな教科の一つです。校外学習なんて、理科のフィールドワークやネイチャービンゴなど、野山の生き物に触れる最高のフィールドで、CST(コア・サイエンス・ティーチャー)の資格の中でも最も僕が得意とする分野なので、そりゃあテンションも上がるはずです。でも、教室で良さを語れても、実際にはいくことが許されないって、あんまりじゃないですかあ。。。。

 

体育の時間、窓からがんばる子どもの姿グランドを見ると、めざとく子どもの一人が僕をみつけ、嬉しそうにジャンプしながら手を振り、それがクラス全体に広がり、みんなが僕に向かって手を振っている・・・。あかん。体育を教えてくださっている先生のジャマになってしまう。と思う反面、うれしくてうれしくて、教室で一人で泣いてしまったことが何度あったことか。
あの場に、自分がいられなくてごめんね。関われなくて、ホントごめんね。

 

大縄跳び大会というのが、学校行事でありました。
クラス全員で大縄を八の字でとぶアレです。
本当なら授業中や、休み時間、子どもたちと声を掛け合って、クラス全体が一つになりながら、僕も大きな声を出す・・・。
僕が一人一人にアドバイスして、僕が縄を回す・・・・。
担任として当たり前のことがこのとき、僕にはできなかった。
強く力を入れると一瞬で手がつってしまうこと、立っていることが相当つらい時期になってしまったから。
ホントつらくてつらくて仕方がない。誰も見ていないところでは、ずっと泣いていました。できないことが悔しくて、悔しくて。

 

でも、いいこともあるんです。
子どもたちが何人も、手をマッサージしてくれるんです。
すぐに手がつってしまうこともあり、手の感覚はほとんどなくなっていました。
手の感覚なんて、手の温かさなんて、手のぬくもりなんて忘れてしまっていても、
子どもたちの小さい手が何度も何度もマッサージしてくれたことで、僕の心も体も復活できました。

 

クラスでどんな学級経営、どんな教え方をしていたかは、ここでは避けます。
「レッツ!アクティブラーニング」のところで少しは紹介しているので、どうかお読みになってください。

 

僕は、弱い立場になっていっそう相手に対して優しい心が育っていき、相手に優しく節していくようになっていました。
だって、僕は苦しいけど、同じようにクラスで苦しんでいる人なんていてほしくないから。

 

だから、毎日のように
「相手の立場にたって考えること」
「リスペクトの気持ちをもつこと」
僕が見本となるようにそれこそ日々努めてきました。

 

前述した「一週間に一回保護者との長文お手紙」にも、僕の教育方針や日々の出来事や子どもの成長を一人ずつ書いていました。
子どもって、素直だから、わかってくれるんです。
何がよくて、何が悪いか。

 

だから、僕はごまかしたくなかった。ありたっけの愛情と情熱をこの一年にささげました。
今までだって、僕はそうでしたよ。でも、昨年だけは、「ラストイヤー」としての捨て身の気持ちが、僕を支えてくれたのでしょうね。

 

それでは、タカから一言

 

「今、できることを精一杯やろう!」


 

生きていて死んでいるような生活をするのはしたくない!生きているときだからこそ、メチャクチャ輝きたい!!
症状が出て、つらいことはわかります。周りが理解してくれなくてつらいのはわかります。

 

でも、結局は自分が輝いて、よりよい人生送りたくないですか?
自分勝手にすごしなさいと言っているのではないですよ。わがままにしなさいと言っているのではないですよ。

 

人のせいにしても、他力本願にしても、結局みじめになるだけ。
今、自分にできることを精一杯おこなう。精一杯おこなったぶん、満足度も高いはずですよ。
それは、ぜんぶ自分が決めること。自分が決めて、自分が行動すること。
自分の行動に責任をもって、全うすること。
やればできるもんだと思います。

 

やっぱり今回も長くなってしまいました。すみません。
次回は、小学校とのお別れ〜感謝 について書こうと思います。

 

ラストイヤーBやはり完結しません。うーん。思いが強すぎる!!
次回は、ついに来た!緊急入院。でも、病は気から! です。

 

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タカでした。
続きを読む 小学校生活ラストイヤーB

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