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腎移植とまっすぐ向き合って〜

小学校生活ラストイヤーB

病は気から!!

小学校生活ラストとして取り組んだ昨年。
弱いところを見せたくなかった僕は、とにかく一人で抱え込むことが多かった気がします。

 

10月の終盤のこと。学校行事で学習発表会がありました。
学習発表会って、端から見ると発表だけしか、目に入りませんね。
そりゃそうです。その発表に向かって、子どもたち、先生は取り組んでいるのですから。
でも、大事なのは、発表するまでの過程。
詳細は避けますが、過程が大事な以上、日々の教育、日々のすごし方がものすごく大事になってきます。

 

僕も身体が悲鳴をあげていましたwwww
だけど、痛いだのヘチマだの言ってられません。

 

子どもが、保護者の前で最高のパフォーマンスをするために、先生としてできる支援をしていきたいから。

 

僕は、発表会においては、すべてをお膳立てしません。
つまり、発表にあたって、調べること、発表することのほとんどを、「○○しなさい」
という指示を与えることはしません。

 

そのかわり、子ども一人一人が興味をもって発表したいと考えていることや、今までこだわりをもって調べてきたこと、育ててきたこと(カイコを育てていました)、自分の目で見て学び、触って感じたことなど
一人一人の子どものこだわりを大事にします。子どもの探究心を大事にします。

 

当然、まとめ方や、魅せ方、パフォーマンスなどは教えなければいけないこと(学習指導要領に準拠する)は確実にやります。
ただ、その後の発展性は、子どもの自発性、自主性を大事にして、子どもたちが主に対話によってですが、解決していく過程をものすごく大事にします。
(レッツ!アクティブラーニングを参照してください)

 

子どもたちの目の輝きが全く違いますよ。目的意識、相手意識をもって、すごく集中して発表準備しています。

 

 

そんな大事な時間。子どもにとって成長が加速度的に、それも最高の空間で、伸びている学校という現場。
僕は、逃げ出そうとか、痛いとかめまいがするとか、甘ったれたことは言ってられません。
正確に言うと、子どもの前で、先生として振舞っていたのが、子どもの成長が見られるのが嬉しくて、テンションがあがって、つらいはずの自覚症状が忘れていることがあるんです。

 

「精神が肉体を超える」

 

なんて、ホントにあるんです。

 

ただ、授業が終わり、子どもたちが帰った後は、気が抜けるのでしょうか、ものすごい疲れとともに、身体の痺れや吐き気、めまいが襲ってきます。
ちょうどこのときは、下腹部が痛かったのですが、

 

痛いのは気合がたりないからだ、
めまいは気合がたりないからだ、
吐き気は気合がたりないからだ
と精神論で乗り切っていました。

 

教師生活ラストだと思うと、これくらいは当然です。

 

子どもと向き合って、先生として仕事を全うしているのが幸せですから。
それが、ラスト!もう死ぬのかなあと思うと、何だってやってやると思いますよ。

 

発表会も無事終わり、子どもたちと保護者の笑顔が嬉しくて仕方なかったです。

 

その夜、僕は、緊急入院しました。

 

 

下腹部が痛くて仕方なく、尋常じゃないくらいの汗が吹き出て、寝るに寝られない。
発熱も起こし、39度と超えました。めまい、手足のつりも尋常ではなく、本気でやばい!と思いました。

 

近くの診療所に行き、市内の総合病院に転医し、その場で緊急入院を言い渡されました。
「腎臓の出血」でした。
僕みたいな多発性のう胞腎の方は、よく出血されるそうだと、後で知りました。
僕は少ないほうで、多い人は、完治しては出血、完治しては出血の繰り返しみたいです。

 

緊急入院することになってしまい、真っ先に頭に浮かんだのが学校のこと。

 

 

・「就学時健康診断」で、僕の担当がある。ああ、スタッフが限界だとあれほど言われたのに、なんでこの時期に・・・。

 

・明日から、「学校を開く週間」がある。保護者も楽しみにしてくれている、子どもだって楽しみにしてくれてる。子どもの最高の姿を僕の授業の中で見せる絶好の機会なので、なんでこの時期に・・・・。

 

・理科の研究発表会がある。指導案や展開は僕が作ったからいいとして、研究会に、推進委員長の僕がいない。講師も知り合いの先生だし、どうしよう。なんでこの時期に・・・。

 

・「学校を開く週間」のすぐ後に、保護者の個人面談がある。それこそ、今までの教育、子どもの具体的な成長、見せられる最後のチャンス!なんでこの時期に・・。


 

悔やんでも悔やみきれませんが、緊急入院、最低1週間というあまりもつらい現実が僕に襲い掛かりました。
夜通し、入院のために手続きやら、荷物やら、それこそ僕なんかのために、妻も大変な夜になりました。
どれだけ迷惑をかければすむのか、妻に申し訳ない気持ちと、感謝の気持ち、そして、どうしようもない自分への怒りがこみ上げてきて、その日は、一人暗いベッドで泣いていました。
泣いてどうにかなるものでもないけど、辛かったです。

 

学校には、僕から、そして看護士から朝一で電話連絡をして、結局10日入院することになりました。
それまで、「精神が肉体を超える」なんていきがっていたのが、うそのように、入院すると弱気になり、とにかく早く治さなきゃという気がずっと、頭を回っていました。上記の真っ先に浮かんだ学校のこと。こればかりは相当悔やみました。神様はなぜ、僕に先生として最後まで全力投球させてくれないんだろう、どうせ死ぬのだから、やりたいことめいっぱいやらせてくれてもいいのに・・・・。また、職場の先生方に迷惑をかけていることの申し訳なさ、保護者、子どもたちに対しての申し訳なさ、妻にも、そして、遠く離れて事情を知った両親のこと・・・。

 

緊急入院でも、それはそれで、収穫はありました。

 

不安でいっぱいの人ばかりの患者さんの思い。患者さんは僕も含め、不安でいっぱいです。まあ、いろんな患者さんがいる。
そして、チームをくんで一人の患者を診るお医者さん。看護士のみなさんのそれこそ献身的なかかわり。
僕の知らない世界に、ぽーんと放り出された感じでしたが、僕が、学校現場で参考にしようと思ったことや、考え方、かかわり方などその都度、気づいたことをメモしていました。
退院するときに、病院宛にお礼と感謝の気持ちをこめて手紙を書きました。機会があれば公開します。

 

入院のとき、全く歩くことが許可されていなかったので、退院時は、びっくりするくらい体力が落ちました。
自力で歩くことができません。一歩一歩が重過ぎる。砂浜で重いものを背負って歩いている感覚とでもいいましょうか・・・。

 

杖をついて歩いても手に力入らないし、力入れるとつって、動かなくなるし・・・・。
そろそろ限界・・・・頭によぎりましたが、3月の最後まで子どもたちの前で普通の先生として接し、がんばりたい気持ちのほうが強かったです。

 

学校に戻ると、○○から必要以上に優しく声をかけられました。
杖は世間体が悪いからしまいなさい!って言ったのはどこのどいつだよ!と思いながらも、僕も3月までは全力で続けたかった意思が強かったので、それこそ、僕を働かせてくれてありがとうという感謝の気持ちと、文句を言わせないくらいのパフォーマンスを発揮してやる!という意気込みが強かったです。

 

何よりも、教室に入ると、子どもたちの目がキラキラに輝いてまっすぐ僕を見つめて、笑顔で出迎えてくれます。
一斉に寄り添ってきって、ギャアギャア口々にあったこと、楽しかったこと、いっぱい話してくれて・・・。久しぶりのマッサージで手のぬくもりを感じることができ、手があれほどつっていたのに、動くし。グーパーグーパーしても、平気だし。
子どもの力って、すごい!テンションってすごい!!

 

入院している間、申し訳ないけれど、その期間だけ、保護者一人一人とのお手紙交換はできませんでした。

でも、退院してすぐに再開しました。テンションマックスで、嬉しくて嬉しくて、一人一人にありったけの気持ちを書きました。
だって、面談できなかったから、公開授業できなかったから、何より、発表会のお礼なんかも何一つ話せないまま、緊急入院してしまったから。
退院後の学校初日は、ダメだと思いますが、徹夜してお手紙書いていました。
ぜんぜん疲れなかったといえばうそになりますが、ニヤニヤして子どもたち一人一人の子どもの顔を思い浮かべて、いつもよりマシマシにいっっ〜ぱいお手紙書きました。
おかげで、朝、やばかったですけど。

 

年末は実家に戻りましたが、何も食べることができず、動くことができませんでした。
大好きなスキヤキのお肉や、料理を手に取るもの、吐き気、めまいがひどくて、おいしそうで食べたいのだけど、食べることができなかったです。

 

1月からは僕も休みがちになりました。妻の送り迎えのおかげでなんとか、学校に行けていましたが、車の中では、弱音ばかり吐いていた気がします。
手足のつりは当たり前、夜は尿の回数が増え、めまい、集中力低下は当たり前、それに加えて、出血がひどくなりました。
腎臓ではありません。それだったら、病院一直線ですから。

 

僕の出血は、アトピー、アレルギー性皮膚炎がここにきて、一気に活発化しました。
手足の爪の付け根部分は、全出血。出血していないときは紫色になっていました。
顔の至るところから出血(ひっかくため)
腕、足の関節部分からの出血(ひっかくため)
○○○の○○の部分(ひっかくため)←記事といえど書けないくらいの場所です。お察しください。
ヘルペス、帯状疱疹も活発化しました。

 

それから、午前中だけの勤務になり、午後はタクシーで帰宅。死んだように眠る。学校にいる子どもの前では、目いっぱいがんばっていました。
ここでは、詳細は略しますが、子どもたちはものすごく成長しました。

 

・係り活動が活性化された数々のイベント(当然子ども主体)
・リスペクトの気持ちを大事にした空間 
 このおかげで、アクティブラーニングも、話し合いも、教えあいも、学びあいも、すごく育ってきていました。先生いらないんじゃない?と思えるほどたくましく思えてきました。
・「みんなちがってみんないい」の気持ち
・「一人で」がんばること、探究すること、努力すること 「みんなで」協力すること、高めること、
など、

 

保護者へのお手紙は、日々の成長の成果を目いっぱい書いていました。
4月から継続して、それこそ死ぬ気で取り組んできたことって、そこそこの形になって表れてくるものなんです。
だからこそ、僕も途中で逃げ出したくなかったんです。最後まで、先生として子どもの成長を見届け、やりきりかったのです。

 

僕がテンション常に高くもっていないと、すぐに集中力そがれる勢いだったので、、テンション高くもって、いつも気を張っていました。

 

「なんとか、この一年やりきりたい。何とか、子どもたちを最後まで担任として送り出したい」

 

血だらけでは、学校に行きづらかったので、休み勝ちになりましたが、僕は僕で強い気持ちをキープしていました。

 

やはり長くなました。次回で、小学校生活は締めます。
症状の悪化と、僕の複雑な気持ちを記事にしたいと思います。

 

最後にタカからの価値ある一言

 

「病は気から!」

 

気持ちが身体を乗り越えちゃうことって、あります!!
前向きな気持ちと、明確な目標をもって、全力でテンション高くしてみてください。


ダメだ、自分はダメなんだ〜と思っていたら、本当にそうなってしまいます。
できる!自分ならできる!やれる!自分ならやれる!本気で思っているとけっこうやれますよ!

 

とはいえ、考え方は人様々です。何度も言いますが、僕は威張っている人、価値観を押し付けてくる人は嫌い(苦手)
だから、僕はそうなりたくない。

 

人それぞれのやり方でいいんです。みんな思いもって、がんばって生きていますから。

 

アドバイスはいいと思うけど、ダメだしはよくないですよ。
だって、僕は僕で僕が判断して良かれとおもって行動しているだけのこと。誰かの参考になってほしくて、同じ思いをしてほしくないからはじめたこと。
あなたも同じ。あなたが人生の主人公なのであって、何をしようが、それはあなただけの黄金体験。

 

やっぱり、僕は、誰に対してもリスペクトの気持ち、大事にしたいです。

 

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タカでした。
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